【112日目】田野畑村(岩手)→宮古市(岩手)
昨晩は田野畑村の道の駅で野宿。
蒸し風呂状態になったテントで目が覚めます。
あかん!日陰やないと野宿は危険!
実は昨日夕食までいただいき、色々と散々お世話になったのに、
さらに朝ご飯までいただくというあつかましさを発揮。
スタッフの皆さんと食べる食事は楽しい時間でした。
今日は音楽祭の撤収の日。
僕も手伝わせていただくことに。
炎天下の中、少ないスタッフでの作業です。
みんな汗ダクでの作業でした。
約3時間でやっとここまで片付け終わる。
時刻は15時。
日没までに目的地の宮古市まで行かないといけません。
そろそろ出発です。
最初に声を掛けていただいたご夫婦をはじめ、あたたかく迎え入れていただいたみなさん本当にありがとうございました。
「みんなでお見送りしよう!」
そのお父さんの一声で、最後まで見送っていただきました。
本当にいい出会いをさせていただきました。
あの時ソフトクリームを食べていなかったら出会っていない訳ですから。
出会いは旅の醍醐味です。
と、浸っている時間もわずかでした。
引き続き三陸海岸は僕をかわいがってくれます。
いきなり超下り坂!
傾斜10%を2kmて…
やめてー!!!と心の中で叫びながら下ります。
だってね。
下ってもその分登るんですよ!!
次の集落に着いても、もう目の前には山。
三陸海岸は集落と集落の間には必ず山があります。
休む間もなくまた登り!
相変わらず復興トラックが多い。
あと道がホコリっぽいです。
峠の途中でたまらず水分補給していると、これまたサイクリング中のお兄さんと出会いました。
彼はなんと過去に日本一周を達成した方で、今は青森から関東に向かって走っているそうです。
お兄さんの目的地も宮古市。
昨日に続いて縦走して向かうことにしました!
彼が日本一周をしたのは震災よりも前。
彼に震災前の街の様子を聞きながら走りました。
峠を越えると、田老町へ。
ここもかなりの被害があった場所。
ある地点より海側はまっさらな土地が広がるため、まるで埋め立て地かのように感じます。。
田老町は過去何度も津波による被害で壊滅的ダメージを受けてきた歴史があります。
その歴史を踏まえて、昭和41年に約50億円、工期約半世紀をかけて海面からの高さ10mにも及ぶ大防潮堤を完成させました。
しかし、またしてもこの街を襲った大津波。
万里の長城に例えられ、世界に誇ったこの防潮堤も軽々と越えていきました。
防潮堤の上から見下ろした景色。
「この危険地帯には人は住むべきではない」
過去いろんな学者たちがそう言っていたそうです。
でも、それは他人が言うこと。
自分が生まれた街を捨てるのはそう簡単ではないです。
そして、人々が忘れかけた頃にやってくる大地震と津波。
「二度とくり返してはいけない」
先人たちはみなそう願っていたと思います。
ですが、くり返されてしまいました。
僕が20年後、30年後もし生きていたら、ここにもう一度来てここからどうなったのかを確認したいです。
田老町を抜け、
さらに2つの峠を越えます。
たかだか40kmの区間に3つも峠があるのが信じられない。
フラフラで宮古市へ。
宮古市街が見えてきた嬉しさハンパじゃなかった。。。
今日も一日おかげさまの気持ちを大切に。
明日も一日とにかく安全第一。
おやすみなさい!
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