【323日目】鹿児島市(鹿児島)→指宿市(鹿児島)《世界遺産:旧集成館》
今日で3人とも本格的にリスタート。
よっしーとはここでお別れ。
最後に3人で記念撮影。
よっしー気をつけて。
実はよっしーは今年中には旅は終わらないようです。
三年目突入するらしいです。
どこで越冬するか楽しみにしてるよ。
さて、
写真も撮ったのでいよいよ出発です。
まず僕は拾い忘れている鹿児島の世界遺産を見に行くために仙巌園(せんがんえん)に寄ってから指宿へ。
ホリくんはそのまま指宿へ。
よっしーは阿久根の方へ。
各々出発!
少し走って、
朝を食べていなかったので、セブンイレブンで朝ごはんを買う。
あー。
この光景懐かしい。
一人で走るのが久しぶりすぎてこんな見慣れた光景にもいちいち懐かしさを感じてしまいます。
開演時間と同時に仙巌園に到着。
朝一番なので全く人がいない。
仙巌園とは薩摩藩の別邸と庭園です。
この仙巌園の庭園の大きな特徴が、庭園に桜島と鹿児島湾を取り込んだ景色を眺められること。
今日はかすんで桜島がハッキリとは見れませんが。
実はここに来るのは二度目なんです。
以前、鹿児島旅行に来た時に訪れました。
その時もくもってましたね確か。。。
「拾い忘れた世界遺産を」と言いましたが、
この仙巌園は登録遺産ではありません。
世界遺産なのは仙巌園の隣にあるこの反射炉跡を含めた「旧集成館」のこと。
反射炉とは、
鉄の素となる「銑鉄」から鉄を取り出すための金属融解炉のことです。
その取り出した鉄で大砲やらいろいろ作ったわけです。
しかし世界遺産の登録遺産なのにだっれもいません。。。
こちらが「旧集成館機械工場」。
かつてはここで金属加工や船舶の修理などを行っていました。
現在、中は薩摩藩や島津氏の歴史が学べる資料館となっています。
この資料館がめちゃくちゃ勉強になる資料館でして。
心の中でずっと「へー。へー。」と言ってました。
薩摩藩の藩主の島津氏は外様大名です。
この辺りは稲作には不向きな水はけの良いシラス台地。
火山や台風の災害も多い。
様々な苦労、苦難の絶えない土地でした。
しかし、島津氏はその逆境を情熱と知恵で乗り越え、最終的には加賀藩に次ぐ大きな藩へと育てました。
琉球も支配下にあった薩摩藩は鎖国時代の中でも琉球に来る外国船や書物から海外の情報を得ることができた数少ない藩。
アヘン戦争で中国が植民地された情報を得た島津氏は衝撃を受け、
「次は日本かもしれない」と危機感を抱き、軍事強化と産業育成を急速に進めました。
そして、日本初の洋式工場群を建設。
さっきから出てきてる集成館とはこの工場群のことです。
集成館事業での産業は造船・製鉄・紡績など幅広く手掛けましたが、
その中にガラス工業も入っており、それが今も有名な「薩摩切子」につながっています。
薩摩切子の値段!!
と、まぁこんなとこです。
この旅を出る前はこんなに日本史を勉強するとは思いませんでした。
幕末から明治の日本の歴史は本当に面白い。
教科書の文字を読むだけじゃなく、実際に足を運んでいるのでスッと頭に入ります。
「百聞は一見にしかず」とはよく言ったもんだ。
今日はまだ5kmも走っていません。笑
仙巌園を後にし、ホリくんと合流するために指宿を目指します。
久々の主要国道の走行。
トラックが横スレスレを走るヒヤッと感も思い出しながら走ります。
薩摩半島を沿って走りながら思う。
今日暑すぎる!!!
灼熱とはこのこと。
屋久島にいた時よりもさらに強い日差しです。
しかも道が悪く、狭い。
車道に膨らみすぎないように神経をすり減らしながら進みます。
もちろん熱中症にならぬようこまめな休憩は忘れずに。
汗ダラダラ状態で指宿市に突入!
ホリくんと合流。
ホリくんも今日の暑さには滅入っていました。
でも、
指宿に到着さえすればこっちのもの!
そう、
指宿といえば「砂風呂」!!
早速、二人で砂風呂へ!
開聞岳が見える抜群のロケーションです!
浴衣に着替えて…
疲れた体を存分に癒す至福のひととき。
平日だったので人も少なく、波の音を聞きながらゆったり砂風呂に入れました。
砂風呂から上がって、
ジュースを飲みながら自分の腕を見て驚く。
沖縄から出てさらにまた焼けるとは思わんかった。。。
そして、テレビのニュースを見てまた驚く。
10日連続の猛暑日って。。。
殺す気か。
今日も一日おかげさまの気持ちを大切に。
明日も一日とにかく安全第一。
おやすみなさい!
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