【304日目】那覇市(沖縄)《世界遺産:琉球王国のグスク及び関連遺産群》
今日はやっと沖縄本島の世界遺産めぐりをします!
離島めぐりを優先していたらすっかり予定の後半になってしまいました。
沖縄にある世界遺産は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」という項目で登録されています。
この遺産群の中に有名な首里城も含まれているんです。
ちなみに、
ブログに書いていませんでしたが、
この遺産群に入っている「斎場御嶽(せーふぁうたき)」には、沖縄入りしたあたりで訪れました!
ここで斎場御嶽について少し説明。
この斎場御嶽とは、「最高の御嶽」という意味です。
御嶽とは、琉球の信仰における聖域の総称。
御嶽には神が宿るとされ、お祈りをする場所として今もその文化は根付いています。
沖縄は離島を含めあらゆるところに御嶽があります。
その御嶽の最高位がこの「斎場御嶽」なんです。
御嶽は形に決まりがありません。
森や川、泉、島全体のこともあります。
ここ斎場御嶽で最も格の高い拝所はこの大きな石が合わさってできた三庫理(さんぐぅい)の奥にあります。
この拝所からは晴れていれば久高島を望めます。
琉球の信仰では神に使えるのは女性とされるため、
かつて全ての御嶽は男子禁制だったそうです。
今でも男性が入れない御嶽はたくさんあります。
と、
先に斎場御嶽の説明を済ませてから本題の今日の遺産めぐりです!
まずは、一番有名な首里城へ!
朝早くに出発!!もちろん自転車で。
首里城は今いるチャンプルー荘から5kmも離れていません。
すぐに到着。
が、坂がキツすぎた!!
あまりの傾斜にのっけからグロッキー状態に。
まぁお城って大体高いところにあるのはわかっていたんですが。。。
実は首里城はまだ開場していません。
なぜこんなに早く来たかというと、開門の儀式を見るため。
毎日儀式を執り行ってから開門すると聞いていたので見に来ました。
開門の儀式を終え、中に入る。
おー!
見たことあるぞー!
登録されている「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の、
“グスク” とはお城のこと。
この遺産群の中に首里城も含め5つの城跡が登録されています。
残念ながら沖縄にあった琉球時代のお城は戦争で全て焼失してしまいました。
この首里城も再建されたもの。
なので、城の内部はまだ新しく歴史は感じられません。
空調も照明もバッチリ通してあるため、
首里城は名古屋城などと一緒で資料館として捉えた方がいいです。
では、なぜこの再建された首里城が遺産群に入っているのか、
実は首里城が評価されているのは再建された正殿に対してではなく、周りを取り囲む石垣に対してなんです。
狭い丘陵が多い沖縄の地形に合わせて、巧みに曲線を描きながら作られたその技術は、あのマチュピチュとも比べられるほど。
この旅で何度かお城は訪れましたが、日本のお城の石垣は直線的なものがほとんど。
この首里城の石垣の積み方は独特です。
一応、正殿の前で記念撮影。
逆光。。。
首里城は後ろから日が昇るように建てられているため、キレイに写真に収めたい方はお昼以降に行くことをオススメします。
では、次の遺産へ!
次の遺産までは首里城から徒歩でいける場所にあります。
ここは「玉陵(たまうどぅん)」。
歴代の全ての琉球国王が眠るお墓です。
ここも第二次世界大戦で甚大な被害を受けましたが、
終戦後かつての姿に復元されました。
ここは首里城と違って全く人がいません。
でも僕は玉陵の方が感動しました。
お墓だけでこのスケールの大きさなのがおもしろい。
大きさもそうですが形を見ても琉球王国は日本とは全く違う文化だったんだなと感じます。
では、次の遺産へ!
次の遺産は自転車で少し走ったところにある遺産。
「識名園(しきなえん)」
琉球王国の庭園です。
ここも日本の庭園とは違う琉球王国独特の雰囲気が漂います。
まぁ、ソテツが画角に入る庭園はここだけでしょう恐らく。
あ、そろそろ帰る時間。
少々急ぎ足で回りましたが、かなり勉強になりました。
今まで見てきた日本の文化遺産とは毛色の違うものばかりで。
やっぱり琉球王国は中国と日本の文化が混ざったような、日本とは違う独自の文化を築いていたんだなーと。
ここには書ききれませんが、首里城内では琉球王国の歴史や文化についてかなり詳しく学べます。
学校で日本史を勉強しても琉球王国のことはサラっと流されますからね。。。
ゲリラ豪雨が降り出したので急いでチャンプルー荘へ戻ります。
今日もみんなでゆんたく。
「ここらの人は飲んだあとにコレを食べるんよ」
とスタッフさんに教えてもらい目の前に現れたのが…
シメにステーキ。笑
これも独特の文化です。
今日も一日おかげさまの気持ちを大切に。
明日も一日とにかく安全第一。
おやすみなさい!
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