【339〜344日目】熊本・益城町ボランティア
今回のブログは少々長文になりますが、ご容赦ください。
二日間お世話になった道の駅 大津を出発。
そして、益城町へ向かいます。
目的地はこの場所。
先日発生した熊本の震災に対するボランティア活動の拠点となるボランティアセンターです。
西日本編を始めて、僕が岡山にいるときに発生した熊本の地震。
発生直後は残念な気持ちにはなりましたが、
熊本に行ったら絶対に何かお手伝いしようと決めていました。
そして、ありがたいことに被災地には旅で出会った同じ日本一周自転車旅中のまんちゃんが活動していて、熊本で再会!
まんちゃんは既に一ヶ月以上活動しているので、かなり心強い先輩。
ボランティアの仕組みを何も知らない僕は、まんちゃんに言われるがまま列に並びます。
実はこのボランティアセンターは、ボランティアの人数の減少に伴い、少し前から週末だけに活動日が縮小されました。
ですので、平日にここに来ても開いていません。
ボランティアの数はゴールデンウィークをピークにどんどん減っていっているようです。
半年ほど前に起きた大地震だとしても少しずつ風化はしていくのです。
災害の多い日本では仕方のないことだとは思いますが。
グループ毎に必要な道具を借りてボランティアの現場へ。
グラウンドに大量に停められた軽トラックに荷物を載せ
最も被害の大きかった益城町の住宅街へ向かいます。
ボランティアセンターを出るとすぐ、受けた被害の大きさと悲惨な現実を目の当たりにします。
簡単に曲げられた電柱
波打つコンクリート
まるで子どものおもちゃが壊れたかのように崩れる家屋
そして道路の脇には堆く積まれた被災ゴミたち
益城町をたった15〜20分ほど車で走っただけでも自分の想像力がいかに愚かなものかを思い知る。
未来に目を向けることが苦しくなるほど、目の前の光景は絶望を突きつけてきます。
そして街を走ってわかったのが全壊した家の隣に平然と形そのままに建っている家があることです。
昔ながらの古い日本家屋も多かったこの地域。住宅の耐震性でここまで差が出るのかと
結果は残酷な形で出てしまいました。
そして、現場に到着。
今日は家屋の瓦礫撤去作業です。
まずは屋根の瓦を一枚づつ剥がして運びます。
日本家屋の被災で厄介なのがこの瓦。
瓦の処理には、発生量の膨大さ、仮置場の確保、分別の難しさ、処理・リサイクル体制の構築など問題が山積み。
そして撤去作業をやる上で、シンプルに重い。
一枚で2〜3kg。それが一軒で1000枚〜3000枚。途方もない作業なわけです。
灼熱の気温の中、一枚ずつ剥がし、トラックに積み、運ぶを繰り返す。
黙々と、
黙々と、
黙々と繰り返し、
今日の作業は終了。
今日作業した家屋の屋根瓦の撤去は全体の半分くらいのところまできましたが、
その先にはまだまだ屋根瓦の撤去を待つ家屋が見えます。
少しずつ、少しずつやっていくしかないんです。
あまり先のことを考えても体が動かなくなるなと、そんなことを思いながらボランティアセンターへ戻りました。
そうやって合計5日間、益城町でボランティアさせていただきました。
この日本一周をするきっかけの一つにもなったのが東日本大震災でした。
日本なのに行ったことのない、見たことのない場所が
壊れていく失われていくのを映像で見ているうちに
「行かなきゃ」という焦りが生まれたのを覚えています。
災害の多い日本では地震や台風、河川の氾濫などで毎年どこかで甚大な被害が出ています。
「いつか行こう」では二度と見れない景色があるんです。
そして、日本一周中に起きた熊本地震。
熊本城も阿蘇神社も大きな被害を受け
元あった姿を想像することしかできなくなっていました。
いつか行こうでは見れない景色がある。
再度、痛感しました。
少しの間ではありますがボランティアとして被災地の今を確かめられて、
今後の災害の多い日本で生きていく上で様々な教訓が得られたと思っています。
復興なんて言葉はまだまだ使えない。
まずは日常生活ができるように復旧されることを願っています。
そして、グループに入れていただき5日間いっしょにボランティアしたメンバーの方々
本当にありがとうございました!!
まんちゃんもありがとう!
今日も一日おかげさまの気持ちを大切に。
明日も一日とにかく安全第一。
おやすみなさい!
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