【78日目】網走市(北海道)→美幌町(北海道)
あのー、道東地方寒すぎるんですけど。
気温を調べると、9℃…!!
あまりの寒さに部屋に備えてあった石油ストーブを点けます。
外に出ると白い息が。
6月末になってハンドルを握る手がかじかむとは思いませんでした。
自転車は漕いでる内に自分の熱であったまってきますが、バイクのひとはこの気温キツいやろなー。
震えながら昨日行きそびれた「博物館 網走監獄」へ。
観てきた感想、
めちゃくちゃよかったです。
まず、初めに驚いたのがその広さ!
総面積170,000 m²、東京ドーム3,5個分!
その敷地内に建てられているほとんどの建築物が国登録有形文化財に登録されています。
歴史ある建築物を目にするだけでも価値があるんですが、
この博物館に行って一番衝撃だったのが当時の囚人の方たちの生活です。
時代はさかのぼり明治時代。
当時日本は囚人が多すぎて過剰拘禁となっていたそうです。
そこで広大な大地とその厳しい環境化から脱獄が難しいと考えられ、
北海道の僻地の網走に収監所が建てられました。
しかしこの網走に収監所が建てられたもうひとつの理由。
それは「北海道の開拓」。
まだ未開拓の地が多かった北海道を、この囚人の方たちを労働力として使おうという考えだったんです。
収監所も収監できる人数は限られています。
その中からより重罪の方たちが開拓の労働力として使われました。
毎日12時間以上の労働。
睡眠時間は3〜4時間だったそうです。
しかも生活場所はこんな所で。
労働力として様々なところで使われた網走の囚人の方たちですが、
そのひとつで有名なのが、旭川〜網走間約230kmの道路を8ヶ月で通したこと。(民間に頼むと4年はかかる)
その旭川〜網走間の中央道路を通すために200人以上の尊い命が失われました。
もうやることがめちゃくちゃです。
道路以外にも農地や港、住居もはじめは囚人の方たちの手によって作られたそうです。
気づけば佐渡金山に行った時と同じブルーな気持ちに。
北海道の繁栄はこの方たちの犠牲の上に成り立っていたんです。
知らなかった、忘れてはいけないことをまたひとつ知ることができました。
見応え十分の博物館でした!
あざす!
博物館を後にし、今日はそのまま屈斜路湖に行くつもりでしたが、
一向に天候は良くなりません。
屈斜路湖の展望台に行くには、美幌峠というえげつない峠を越えなければいけないんですが、
しんどい思いして湖が見えなかった、じゃシャレにならないので今日は手前の美幌町で一泊。
やっぱり止まっていると寒い!
自販機でホットコーヒーでも飲もうとしたら、
なぜか北海道の多くの自販機はつめた〜いで埋め尽くされています。
北海道の方からしたら、この気候暑いんですかね。。。
今日も一日おかげさまの気持ちを大切に。
明日も一日とにかく安全第一。
おやすみなさい!